いつかは晴れる IT業界に勤める営業マンのうつ体験記 笑うのが辛いときは泣くこと いつかは晴れる IT業界に勤める営業マンのうつ体験記
うつ病から復職した自分の経験を生かし同じ病気で悩む人の力になりたいと思い、ブログを書くことにしました。
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いつかは晴れる IT業界に勤める営業マンのうつ体験記
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プロフィール

中田健

Author:中田健
                       現在50才でIT系企業の営業と販売促進を担当しています。41才の時にうつ病になり、入院もしましたが約2年間休職した後に無事復職、現在に至ります。
 本々は営業マンで20年順調に過ごしていましたが、職場が変わったり部下が増えたりとストレスの多い環境だったと思います。
 今はすっかり良くなったのでうつ病を早く治す考え方などをブログで伝えています。

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2009.09.26 Sat
笑うのが辛いときは泣くこと
うつ病になって笑うことはとても難しいことになってしまった。

人がどう思うかを気にして怒ることもなくなった。

楽しい気分も味わえない。

でも悲しいことへの感覚は元気なときよりも格段に強くなっている。

問題は自分のために悲しむことだ。

自分の過去や将来を憂えて悲しむだけでは何も生まれない。

だったら他人のために思いっきり泣いてみよう。

今回紹介したいのは ママ、ありがとう (単行本)各務 優子 (著)

生まれながらの難病で、食べることも歩くことも出来なかった宗太郎君。助かる道は、

日本では認可されていない多臓器同時移植を実現することだった!どんな時も決して

諦めない母子の、命と愛のメッセージ!! (CM文)

結局9歳で亡くなってしまったのだけれど自分で食べることができないのでお母さんに

食べさせてあげることで体感しようとしたり、お母さんを悲しめないようにすごく考えて

行動したり、小さな体で大人顔負けの思考をします。

この本を読んだら涙ぼろぼろ、変な言い方で恐縮ですが自分についていたいやなものが

すっきり取れた気がします。

その後しばらくはうつで悩んでいることがつまらないことに思えることでしょう。

一読されてはいかがでしょうか。

今日もつたないブログ記事読んでいただきありがとうございます。

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また、聞いてみたいテーマありましたらコメントください。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ banner2.gif fc2ranking 

以下そうたろう君のおかあさんのメッセージ

全国の皆様へ

全国の皆様から本当にたくさんの募金、応援を頂き、宗太郎の夢に向けての第一歩であった多臓器移植手術を受けることができ、非常に感謝いたしております。
移植手術を受けることは、宗太郎がテレビ番組を見て、自ら決めたことでした。
「ママ、宗太郎も治りたい!手術でもいい。がんばる。」と。

宗太郎は、頂いたお手紙などすべてに目を通し、できるだけお返事を書きたいと頑張っておりました。これもまた、夢の一つであったお友達が一度にたくさんできた、元気になったら会いに行くと、それはそれはうれしそうにしておりました。
本当にありがとうございました。

宗太郎は平成20年2月21日の渡米以来、体力作りのリハビリから始まり、3月末、手術の大成功、移植直後のカギとなる時期は頑張って乗り切り、おかゆを口にすることができ、宗太郎が夢にまで見た、お腹いっぱいご飯を食べることができる日を目前とするまでに回復しました。

しかし、4月、重度のGVHDという極めて発症する確率の低い合併症を発症し、何度も命を落としそうになりながらも、いつも崖っぷちで踏みとどまりがんばりました。
どんなに辛く苦しい時でも、決して弱音を吐かず、いつも「ありがとう、Thank you」の言葉を唇からあふれ出しながら、全身全霊で闘い続けました。

一時はまた、食事が摂れるほどに回復しましたが、再度、状態が悪化し始めてからはどんな治療を受けても回復することなく、平成20年9月28日 午後1時42分 9才と2日という本当に短い生涯を終えました。

呼吸器をつけなくてはならないほど体内の酸素が低下し、とても苦しい中、「ママ、ありがとう。ありがとう。」と心配する私を気遣う言葉が、宗太郎の最期の声となりました。
最期は恥ずかしがり屋の宗太郎が自ら「だっこして」とお願いするぐらい大好きだった加藤先生、アメリカで知り合い、助けていただいたたくさんのお友達に囲まれて、とても安らかに静かに私の腕の中で迎えました。
まるでそれは、自分で自分の人生の幕を閉じたかのように。
志半ばだったはずなのに、大きな何かをやり遂げたかのような満足そうな、そして穏やかに何かを語りかけているかのような顔をしていました。

宗太郎の9年間は、本当にずっと病との壮絶な闘いの日々でした。
そして、そのほとんどを病院で過ごしました。制限の多い入院生活ではありましたが、常に色々なことに興味津津でした。旅番組、料理番組を見ていつかは・・・と思いをはせたり、恐竜、動物などの番組を見たり、図鑑、本を何冊も見比べては、将来、恐竜博士になると言って、自分なりに研究をしていました。
文章を書くこと、パソコンを使うことも大好きでした。
体調のよいときには常に自分なりにがんばって勉強をしていました。
ちょうど、渡米の日、成田空港で漢字検定5級合格の知らせを聞き、本当に大喜びをしていました。

移植手術へ向けての体調管理のため寝たきりになってしまっていた宗太郎が、アメリカ行きの飛行機の中で、目をきらきらと輝かせ、ドラえもんの替え歌で「地面を自由に歩きたいな~」と歌いだしたときには、宗太郎の命が未来へ向けて芽吹き始めたかのようにさえ思いました。

このような結果にはなってしまいましたが、9年と2日、頑張って頑張って頑張りぬいた人生だと思っています。
私は宗太郎という子を持てたことを、宗太郎と9年歩んで来ることができたことを誇りにさえ思っています。


最後になりましたが、宗太郎に生きる夢を与えてくださったドナーの方のご冥福を再度、お祈りすると共に、そのご決断を下さったご両親をはじめご家族様に深い感謝と生き抜くことができなかったお詫びを述べさせていただきたいと思います。

本当にどうもありがとうございました。


テーマ:生きること - ジャンル:心と身体
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