いつかは晴れる IT業界に勤める営業マンのうつ体験記 2009年03月 いつかは晴れる IT業界に勤める営業マンのうつ体験記
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うつ病から復職した自分の経験を生かし同じ病気で悩む人の力になりたいと思い、ブログを書くことにしました。
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いつかは晴れる IT業界に勤める営業マンのうつ体験記
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プロフィール

中田健

Author:中田健
                       現在50才でIT系企業の営業と販売促進を担当しています。41才の時にうつ病になり、入院もしましたが約2年間休職した後に無事復職、現在に至ります。
 本々は営業マンで20年順調に過ごしていましたが、職場が変わったり部下が増えたりとストレスの多い環境だったと思います。
 今はすっかり良くなったのでうつ病を早く治す考え方などをブログで伝えています。

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「 2009年03月 」 の記事一覧
2009.03.30 Mon
ここから復活するその6
子供を連れて家内の実家に3日ほど帰ることになったのですが
ひとり残る選択肢もありました。でもひとりで考える時間がたっぷり
あるのも困るので一緒に帰ることにしました。

すでに車の運転は事故を起こしてしまうイメージがあり怖くて
できませんでした。家内に運転してもらい自分は助手席に座り
ました。

この頃は末期状態で常に胃痛があり薬を飲んでも痛い
状況でした。何度も車を止めてじっとすることで痛みと吐き気を
抑えていました。

やっとの思いで実家に着くと家内の両親が出迎えてくれました。
そして仕事の辛さを話しながら同情してくれて心配もしてくれ
ました。

家でじっとしているのも辛いので家内と子供で近くの公園に
遊びに行きました。散歩をすれば楽になるのではないかと期待
しましたがやはり仕事の失敗が頭から離れなくなりました。

ものすごい疲労感、焦燥感で公園にいるのも辛くなりひとりで
戻ることになりました。歩いて10分くらいのところなのですが、
ほんの数分の間に帰路についての記憶に自信がなくなってきた
のです。道を忘れてしまい帰れないんではないかという不安が
湧いてくるのでした。それでもふらふらになりながら何とか家に
着くことができました。

夕食前になると義父が日課になっているお経を読み上げました。
今までまったく興味がなかったのに、正しく苦しい時の神頼み、
熱心に聞き入っていました。そして義父は私の態度に困惑
しながらも教本を見ながら丁寧に教えてくれました。

私は教本を読みながら、少し気持ちが楽になるのを感じて
真面目に読み上げていました。その日の夕食時には体調も
もどってきたようでビールも飲んで料理もたくさん食べました。

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2009.03.28 Sat
ここから復活するその5
ゴールデンウィークに入り、また心療内科に行き、まったく良くなら
ないことを告げました。更に病状は悪くなり、特に心臓の鼓動が
ひどくなりましたが、先生にそう言うと心臓が早く動いて死んだ人は
いない。心臓が止まったら死ぬもんだと言われました。今思えば
乱暴にもほどがあると思うのですが当時はなるほどと思ってしまい
ました。

この頃になると電車に乗ることが怖くなり、心療内科に行くのに
自転車で行っていました。最後は自転車にも乗ることができなく
なり、心療内科へは奥さんに車で送ってもらい、帰りは歩いて
帰ってきました。

そんな状況でしたが病院を変える気力もなく、日に日に精神的
にも肉体的にも益々弱っていきました。睡眠障害だけでなく、
常に胃の辺りがどんよりと重く、痛みを伴っていましたし、食事も
飲み込むように胃に入れるだけでおいしいという感覚はなくなって
いました。

日々できることが減っていく恐怖は命がなくなっていくような感じが
するほどでした。家の中でも0歳の次女をお風呂に入れることが
できなくなり、スプーンで流動食をあげることもできなくなりました。

長女と遊びに行った帰りに長女をおぶると腿がいたくなってきて
おんぶをしてあげるのも今日で最後かもしれないと漠然と思いま
した。

この頃になると今まで自分がしてきた全てのことがいかに独り
よがりで、他人を傷つけていたかという考えに支配されていました。

あたかも犯罪者のように自分の過去を振り返り、消えることの
ない過ちにさいなまれ続けました。それは休職する直前のことから
5年前、10年前、入社当時、学生時代にまでもさかのぼって
行きました。

いくら考えても自分が如何に最低な人間であるかという発想から
抜け出ることができませんでした。特に業績が悪くなってから
グループ内の会議で部下を叱責したこと後悔していました。

それは並大抵の後悔ではなく時計を戻して全てをやり直したい
と思うほどのものでした。

そのことが頭から離れることはなく、朝目が覚めてから寝るまで
ずっと考えていました。考えても考えても答えは出てきませんで
した。解決策はまったくないということを実感するとともに過去の
変えることのできない行動への後悔と将来への希望をまったく
なくしていました。

この時すでに復職することは許されないと思っていましたが、
新築マンションを購入したばかりで、2人の娘をかかえた状況で
家内にも本当の気持ちはまだ言えませんでした。
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2009.03.26 Thu
ここから復活するその4
その後、会社の仕事の中で孤立感は更に高まり、部下からの同行
セールスの依頼もなくなりました。上司からも次第に仕事をはずす
ような動きがあって雑用と思われるようなことを担当させられるような
状況でした。

そんな状態をなんとか挽回したいと思っても一度狂った歯車はなか
なか噛み合わず、周りに気を使っても返って惨めになるだけでした。
仕事がないのに部下や上司に気を使って帰ることもできず、毎日、
々々10時、11時まで会社に残っていました。

そんな中、年度末を迎えました。きっと異動させられるだろうという
予想に反してそのまま営業マネージャーとして新年度を迎えました。
異動させられたならそれはそれで落ち込む原因になったのでしょうが
部下の人数を減らした以外は同じで明るい兆しは何もありません
でした。

それでもあと少しでゴールデンウィークだと思って何とか持ち堪え
ました。あと半月、あと一週間、あと3日です。しかし、当然のこと
ながらゴールデンウィークは10日前後で終わるのです。もうそんな
ことさえわからなくなっていたのです。

最終日にはうまの合わない上司と酒を飲みに行きました。正直
行きたいと思う相手ではなかったのですがおべっかを使うような
感覚だったと思います。
他に数名いましたがほとんど会話の内容も耳に入ってきませんで
した。お酒も生ビールだったと思いますが、中ジョッキ半分も飲めま
せんでした。普段は3杯から5杯飲んでいたのにです。
そして最悪だったのは帰りの電車の中でご迷惑かけて済みません。
と何回も何回も言ってしまったのです。上司も困惑していました。
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2009.03.24 Tue
ここから復活するその3
会社の帰りに寄れて最寄り駅ではないほうが良いと考え、自宅から
2駅の心療内科へ通うようにしました。

今考えれば、知っている人に会わないように待ち時間が短くて済む
ようにと考えて選んだだけで、癌だったら絶対選ばない病院だったと
思いました。

本当に病気を治したいならば初めから評判の良い病院を選ぶべき
です。しかし、病院を新たに開拓する元気も残っていないというのが
実態なので家族の方が見てあげられればと思います。

その神経内科に行ってうつ病診断テストというものを受けさせられ
ました。内容はもう忘れましたが、アンケート形式になっていて、
眠れないことがあるか、とか食欲はどうかなど、どう見ても答えている
うちに良い結果ではないなと感じさせるものでした。

診断テストの結果が出るまで待合室にいると見るからに挙動不審
な患者さんたちを見ながら自分も同じように見えるのだろうと感じ
ました。

やがて診察室に通されましたが先生が言うには相当悪いとのことで
3ヶ月は掛かるだろうと言われました。それでも置かれた状況のせい
ではなく病気が原因だと言われたことが救いに感じていました。

薬を調合してもらい、服用すれば治るんだと自分に言い聞かせ
病院を後にしました。
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2009.03.22 Sun
ここから復活するその2
その豹変振りは周りから更に気味の悪さを感じさせたかもしれません。

その頃になると前の上司や仲間から「最近元気がないぞ」と指摘され
るようになりましたがすでに時は遅く異常事態に気づく心さえ失って
いました。

もう本当に人生が終わっているような状態でしたが、休んでしまったら
マンションや家族まで失ってしまう気がしてしまい、ドクターストップが
無いボクシングの試合のように脳へのダメージを蓄積していきました。

この年、次女が生まれ家内は2人の子供の世話で手一杯だったこと
もあり私のことを少しおかしいと思ってもどうにかする、そんな余裕は
ありませんでした。また、当然のことながら家では異常な行動もない
のですから本当にわからなかったかも知れません。

年が明けて2月になってから会社にいる時に家内から携帯電話に
電話が掛かってきました。「今日、昼のテレビでうつ病の特集をやって
いてパパの症状に当てはまるのですぐに電話をしたの」というのです。

この頃にはいわゆる、睡眠障害も出ていましたし、食欲がなく、家庭
でも覇気がない状況でした。

「病院に行って」と言われ、自分でもおかしいともおかしくないとも判断
することもできず、すぐに病院に行きました。
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2009.03.20 Fri
ここから復活するその1
休職しているあなたへ

休職しているあなたは今どのような状況にいると考えているのでしょうか?

毎日砂を噛むような時間を過ごしている方もいるかも知れません。

私は今から8年前にうつ病を発症してしまい、我慢に我慢を重ねて
会社に行っていましたが一年後には歩くこともままならなくなり、
それから2年間休職してしまいました。

そのころの私は営業のマネージャーでしたが、チームの成績はまったく
あがらず焦った私は部下の奮起を誘うべく叱咤激励の毎日でしたが
どんどん病的になっていき、怒りかたはエスカレートするばかりでした。

上司からも同じように怒られ、何とかしなければと焦っても打開策が
まったく思い浮かばないのです。今までも色々な困難はあったはず
なのに、その都度なにか打開策はあったはずなのに本当に何のアイデア
もありませんでした。少しおかしいとは思いましたがどうすることもできま
せんでした。

ゴールデンウィークに提案書作成のために休日出勤したのですが
提案要件を読んでみてもまったく頭に入りませんでした。
きっと最近の忙しさのせいで疲れていることと年を取ったためなのかな
という理由で済ませてしまいました。

次第に予算会議で発表することが暗くなるばかりで毎週のマネージャー
以上のミーティングもいたたまれなくなって行きました。

そのうち、お客様からもクレームが入るようになりました。今までならば
事前にそれを察知して部下に指示を出すか自分で処理するかして
いたはずなのに怠慢でどちらもしなかったのです。

お客さんからクレームを言われるのは営業マンとして最も恥ずべき行為
と考えていた自分にとって許すことのできない出来事でした。

そして気がつくと部下からは敬遠されるようになり、また馬鹿にされている
ような気さえしてきました。

上司からもまったく信頼されていないと感じるようになり、完全に居場所
を失くしてしまったのです。

それから自分がとてもさもしい考えの人間に思え、それまでのことを
必要以上に悔いるようになりました。
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