| うつ病から復職した自分の経験を生かし同じ病気で悩む人の力になりたいと思い、ブログを書くことにしました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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いつかは晴れる IT業界に勤める営業マンのうつ体験記
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Author:中田健 ▼ 落ち着ける本
せっかくうつになったのだから、人生を考え直してみよう。せっかくうつになったのだから自分を見直してみよう。そしてうつが治ったら言ってみよう。あーうつになって良かったと。
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「 復職 」 の記事一覧
どんな復職をイメージするか
復職するのにどんなイメージを持ちますか?
イメージはなく、一生懸命やるだけと思っていないでしょうか。わたしは休職前は 「戦うビジネスマン」のイメージでした。 他人にも自分にも厳しい、妥協を許さない、少しでもグレードの高い仕事をしたい。上司からも部下からも一目置かれるような「戦うビジネスマン」でありたいと思っていました。 仕事の経験を重ねるたびに認められていき、よりレベルの高い仕事、り多くの知識を求め、他人とは違う自分を目指しました。そうしたことでいつの間にか周りと笑って談笑することがなくなっていきました。家庭ではチャランポランな自分が会社では完璧を求めていました。 そうした会社での自分に違和感はありましたが、もうみんなと談笑する自分には戻れなくなっていました。一度そういう評価を受けると良くも悪くもそれが自分になってしまい、変える事ができなくなりました。こうした生活が続くうちにうつ病になったという気がします。 そして2年間休職して、復帰するときに思ったのです。復職するといっても記憶力や判断力が100%戻っているわけではない。また、2年間もブランクがあり、会社も合併したので仕組みも人脈もあまりない。「戦うビジネスマン」として復活することはできない。まあ、実際には会社に行くことがやっとだったのでそういう考えを持つことさえできませんでした。 イメージがないのも不安なので自分の中で目指すべきサラリーマンを考えました。それは「釣りバカ日誌」の浜崎伝助こと、 「ハマちゃん」です。 会社には来ていてもまともに仕事をするきはない。だけど周りを明るくしてくれる。まあ、なろうと思ってなれるキャラクターではありませんが愛すべきサラリーマンになれれば良いかなと思いました。 また、野球でもボクシングでもマラソンでも良いんですが最初っから強かったり、早かったりしないでも 後から逆転するほうがかっこいい、 仕事が出来ないと思っていたら実はそれなりに仕事が出来るサラリーマンだった。なんていうものをイメージしています。 わたしは復職して仕事をできない自分を自己弁護しているだけかもしれませんがプレッシャーを掛け過ぎないことは大事だと思います。 少しでもみなさんの参考になれば幸いです。よかったら応援クリックをお願いします。 ご存知ですか?医療費が3分の1になる自立支援医療制度(精神通院)。 広告じゃありません。ご安心を。
テーマ:心の持ち方 - ジャンル:心と身体 うつ病で復職、焦りは禁物
うつ病で復職するタイミングを間違っていませんか?
通常、復職するためには主治医の診断書(許可)と上司との面談、そして最後に産業医(会社指定の医師)の許可が必要になります。わたしが面談した産業医はわたしが勤めている会社のグループ全体のメンタル面を見ている立場の人です。ですからメンタル面で休職していて復職の面談を数多く経験しています。 面接の中で色々な質問をして復職の意思や健康状態を確認します。彼が復職する社員を判定するためにもっとも重要でデジタルな見分け方があります。それは 休職期間の終わりが迫っていないかどうかです。 休職期間終了が迫っているということはそれ以上休んでいるとクビになるわけですから誰でも焦って出社しようとするわけです。そうしたひとたちは治ったから出社するのではなく、クビになったら困るから出社するのです。ですから出社して数ヶ月、早いひとでは数日で休みがちになり、そしてまったく出社しなくなって退職してしまうのだそうです。 わたしが言いたいのは無理をせずに会社を退職しなさいと言っているわけではありません。わたしが勤めている会社では勤続年数によって休職期間を1年半から3年くらいに定めています。その期間を有効に活用すれば良いといっているのです。休職期間間際になって出社するひとはだいたいその前に何度か復職しています。2回、3回と休職しているわけです。 1回目の復職は慎重に実行すべきなのです。 そして復職する理由です。このままでは営業からはずされてしまう。関連会社へ出向させられてしまう。これ以上休むとみっともない。年内復職を目標にしてきた。昇進試験が迫っているなどがるのでしょう。 うつ病が治ったら復職する。 うつ病は脳の病気であり、ケガなのです。ケガが治らないうちに仕事に戻ればまた悪化するのです。うつ病が治ったら復職する、これ以外の復職理由は危ないと思ったほうが良いでしょう。 あなたは頭の中に腫瘍があるようなものです。血の塊がもとのように戻るまで仕事をしてはいけないとイメージしてください。下手をすると後遺症が残ったり、死んでしまうことだってあるんです。仕事は大事ですがあなたの命や人生のほうが大事だということを良く考えてください。 参考になりましたでしょうか。よろしければコメントいただけませんか。必ず返事を返しますのでよろしくお願いします。コメントが無い方は是非ランキングへの応援をお願いします。 ご存知ですか?医療費が3分の1になる自立支援医療制度(精神通院)。 広告じゃありません。ご安心を。
テーマ:うつ病(鬱病)、メンタルヘルス - ジャンル:心と身体 復職はゴールではないその6
[変化球] ブログ村キーワード=ちょっと強引ですがストレートよりも変化球のほうが生き残れると言うはなしです。
異動した今度の部署では完全にスタッフになりました。やってみればなんとかできるだろうと思っていましたがやはり慣れの問題は多く、なかなか思うようにできません。ましてわたしの年を思うと教えるほうもかわいそうだなと言う状況でした。 それに良い悪いの判定が難しい。営業のときはお客さんが注文をくれれば正しい、くれなければだめという考え方でした。たとえデキが悪くてもお客さんが注文をくれれば良いのです。試験で言えば点数が悪くても合格すればOK、100点のできでも不合格なら悪いデキです。 スタッフは常に100点を求める感じでとても定時に終わりそうにありませんでした。そんなに不満のある部署ではありませんが自分の力がまったく意味をなさない感じがして居場所がないななどと贅沢な考えに支配されていました。 同じ部門の中に販売促進のチームがあり、忙しいときだけ手伝っていたのですがそちらの部門に魅力を感じ、丁度大型の展示会とそのフォローの仕事があり手伝いに名乗りを上げました。今までの営業経験を買われ、その販売促進の部隊に上期の途中に異動することができました。 今思えばかなり強引な売込みをした成果があったと感じています。営業ではないけれど限りなく営業の近くまで戻ってきたのだと言う感慨もあります。 さて、このあと営業に戻ってしまうのか今の延長線上にいるのかはたまたまったく違う世界に行くのかはこれからです。でも復職してからの5年間を思うと本当に運良くこれたものではないでしょうか。 今最も強く思っているのはうつ病だからたいへんな経験をしたのではなく、うつ病だから大変に感じただけだと思っています。健康な人も年齢を重ねるたびに様々な試練にぶつかります。同じ仕事を入社から定年までの間担当することはありません。同じように見えても役職や年齢が変われば捉え方は変わってきます。 コンピュータ業界では「強いものが生き残るのではなく、変化に強いものだけが生き残るんだ。」というダーウィンの進化論を引用しますがサラリーマン社会も同様のことが言えるのではないでしょうか。 プチプチッと応援してください。よろしくお願いします。 ![]()
テーマ:うつ病(鬱病)、メンタルヘルス - ジャンル:心と身体 復職はゴールではないその5
それからしばらくしてグループ内での展示会が開催されることになりました。たくさんのシステムが出展され、その事務局というやくまわりなのです。多少慣れたのですが展示内容が多岐にわたっていたこととともにもうひとつ大きな問題があったのです。
今回はその事務局役をわたし一人がやるのではなく4人だけのグループが形成されましたがこれがまたやっかいな問題をはらんでいたのです。それはあとの3人が部下なのです。復職して半年過ぎたばかりなのでできれば1人でやる仕事が良かったのですが巡り合わせが悪く4人で担当することになりました。正直言って上司よりも部下のほうが似合っている感じです。それに気が強い女性2人、性別で差別をしてはいけないのですが、もう睨まれただけで落ち込んでしまいます。 もうすっかり腫れ物に触るような対応になってしまってそれが返って相手にも不評そうでとってもつらい日々を過ごすことになりました。女性一人が主任もうひとりが担当、男性も担当という布陣でした。女性の主任は気が強く、事あるごとに「中田さんはマネージャーなんだから決めてください。マネージャーとして相手に言ってください。」などと言われてもぐずぐずと対応している状況でした。 「できればあなたにマネージャーを譲りたいです。」と心の中でつぶやきながら対処していきました。 なんとか我慢していましたが一度だけ耐えられなくなり「悪いのだけれど、もうこれ以上は無理だから。あなたも知っていると思うがもともと心の病気でこれ以上は対応できないから勘弁してください。」「言ってくれればわかりますけれど言わないので大丈夫かと思いました。」と言われなんとか切り抜けることができました。 その行事はその後3年間、3ヶ月ごとに行われました。その後また異動がありそのグループも解散になりほっとしたのも束の間、また新しい問題が発生しました。 プチプチッと応援してください。よろしくお願いします。 ![]()
テーマ:うつ病(鬱病)、メンタルヘルス - ジャンル:心と身体 復職はゴールではないその4
復帰してから3ヶ月後、大きな展示会の事務局を引き受けることに。
部長から「君に夏の展示会の事務局を引き受けて欲しいのだけれどどうだね。」と言われ「責任者なんてとんでもありません。」と言ってしまいました。「だから責任者じゃなくて事務局だって。」嫌ともいえず、また責任者ではなく事務局なのでたいした責任もないだろうということでやらさしてもらいました。 会議を取り仕切ったり、業者と打ち合わせをしたり、資料を作ったりとかなり仕事らしい仕事をすることになりました。当日も説明員もやりながらお客様の呼び込みもやるという自分としてはかなり過負荷な役回りを務め上げる事になり、やっと復職したかなという感じになりました。 ある製品の発表を印象付ける為の展示会でしたが、商品のコンセプトをまとめた資料も作ることができたのはかなり自信につながったと思います。またインターネットを覗くのもその商品の競合製品やピーアールポイントの調査など目的もなく見るのとは違ってとても充実していました。 もちろんたくさんの人が関わり、その末端だったわけですがみんなの満足感からしばらく遅れることささやかな満足感はありました。ただ、このころはまだ手の震えがひどく字を書いたり、ビールを注いだりとみんなとの係わり合いが増えるにしたがって周回遅れを意識したこともありました。 自分としてもかなりうれしくて家に帰るとすぐ奥さんに報告しました。やはり奥さんもかなりうれしそうな顔をしてくれました。 プチプチッと応援してください。よろしくお願いします。 ![]()
テーマ:うつ病(鬱病)、メンタルヘルス - ジャンル:心と身体 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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